義経 神戸


義経と神戸

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〜神戸と義経〜

 私は日本史が好きです。といっても歴史に詳しいわけではなく興味のある時代とそうではない時代がはっきりしていて、興味のない時代の歴史は中学校の教科書レベルのことも知らなかったりして、年号なんかもほとんど覚えてはいません。歴史の各エピソードから伝わるロマンに惹かれているのだと思います。


 歴史好きのきっかけをつくってくれたのはなんといっても「義経」です!!
あ、タッキーの義経じゃないですよ。

 私が義経を好きになったのは1986年のNHK時代劇「武蔵坊弁慶」で川野太郎さん演じる義経を見たときです。ストーリーは殆ど覚えていないけど、川野太郎さんの義経、かっこ良かったなあ。平泉に旅立つ義経を見送る常盤御前や、平泉で秀衡との対面のシーン、静を見初めた瞬間など瞬間的に印象が強く残っていて、それまで見向きもしなかった歴史の本などを読むようになりました。だから今でもやぱり源平合戦の時代の歴史は大好きです。

 2005年の大河ドラマ「義経」も前々からとても楽しみにしていて、毎回ワクワクしながら見ていました。衣装もセットも素晴らしく出演者の顔ぶれも豪華でとても見ごたえがありました。

 タッキーの義経も……、うーん、私的には少し違和感があったです。「いいヤツ」過ぎてあまり共感できなかったんです。義経って屈折してる部分もたくさんあったと思うんですね。それに女癖もかなり悪かったようで静以外にも関係をもった女性はたくさんいたし、妻も子もいたはずなのに、静と架空のうつぼ以外出てこないし…。

 私は義経は男前だったと信じているので(平家物語とかにはチビで出っ歯だと書いてある)ルックスに関しては文句はなかったけど、それも川野太郎さんの義経のほうがイメージに合っていたなあ。

ところで神戸と義経も深い関係にあるんですよ。短い義経の生涯のうちほんの少しの時間を神戸で過ごしただけですが、義経の名が知れ渡ったのは神戸での平家との戦いにおいてだったんです。有名な「鵯越の逆落とし」も神戸での出来事です。この時の義経が通った道を紹介いたします。


 寿永三年(1184年)2月4日、京都郊外の大江山を出発した義経軍は、平資盛が陣営を張っている兵庫県加東郡社町の三草山にわずか1日で進軍し、夜襲をかけました。

 この当時、進軍するのに2日はかかる行程でしたので、翌朝の合戦と油断していた資盛軍は満足に応戦も出来ないままに兵は分散してしまい、資盛は加古川沿いに高砂まで逃げて屋島に船で渡ったとされています。
 そして義経は6日の曙、軍を二つに分け、大半を土井実平に預けて、一の谷の西の木戸口に向かわせます。そして自らは精兵を率いて鵯越に向かいます。資盛軍を破った4日夜半から6日の朝までの行動は不明なのですが、その間にある程度は進軍していたのかも知れませんし、休養をとっていたのかもしれません。そして、丹生神社を過ぎ、丹生山田(現神戸市北区)の東下から藍那を経て現在の星和台に抜け鵯越に向かいます。この道が義経道です。

 この義経道、古道っぽい雰囲気が抜群で自然たっぷり、それでいて道も険しくなくお勧めのハイキングコースです。

 私もよく歩きますよ。まず丹生山山麓の東下西の北向き地蔵のあたりから始まります。あ、この近くにある「やみつきラーメン」お勧めですよ!醤油系ラーメンで若干ちぢれ麺です。豚の背油が浮いていますが案外あっさり食べられます。その向かいにあるうどん屋さんも超人気店です。

 今は田園になっているところに鷲尾三郎の屋敷跡があり、今は石燈籠だけが立っています。この燈籠、周辺のお家の方が順番で毎夜火を入れるそうです。鷲尾三郎は、義経に鵯越までの道を案内した人ですよ。

 そして、山道に入っていき、しばらく上った左側に鷲尾家のお墓がありますが、最近のお墓が殆どでした。どんどん進んでいくと山は深くなり「あぁここを義経が馬に通って進んだんだなあ」とはるか昔に想いをはせることが出来ます。そして「見戻り坂」ここは義経軍が道を見失って、またここに戻ってきたといわれている坂です。でも私は気づかずに通り過ぎてしまいました。それにしてもそんな見てきたようなことどうやって伝わったんでしょうねえ。

 坂を下っていくと藍那に出ます。高架下を潜ってまた坂をのぼったり下ったりしていると、「藍那の辻」に出ます。ここには和泉式部の墓だと伝えられる宝きょう印塔が立っています。とても優雅な塔ですが、もちろん和泉式部のお墓じゃありません。ちなみにこの藍那駅の近くには紫式部のお墓もあります。これも誤伝ですけどね。

 そして軍略を相談した「相談ケ辻」、軍陣を張った「椎の木塚」などがあります。そして星和台の住宅街に出てひよどり墓地の中を通り、鵯越へとむかいます。
このひよどり墓地の中にも、義経駒つなぎの松とか蛙岩とか面白いところがたくさんあります。

 一の谷の合戦の勝利の決め手となったのがご存知「逆落とし」ですね。平家は前面は海、背後は峻烈な崖に守られている地形に陣を構えていたので、後ろにあまり気を使っていなかったのかもしれません。その険しい崖を義経は精兵とともに駆け下り平家陣の背後を急襲したのです。

 ところでこの逆落としの場所ですが、今も議論が分かれています。鵯越から眼下の古明寺を狙ったとされる「鵯越説」と須磨一の谷をその場所とする「一の谷説」に大きく分かれています。地名を優先するなら鵯越説だし、峻烈な崖に重点を置くなら一の谷説ですしねえ。

 ちなみに、神戸の鉄道会社2社はそれぞれの沿線の観光アピールのために、神戸電鉄は「鵯越説」を山陽電鉄は「一の谷説」を支持しています。筒井康孝さんの短編小説「こちら一の谷」ではその状況をとてもとても面白く描かれていますよ。





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